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一見、ビジネスや政治・行政の前線とは無縁なように見られがちな「美意識」は、
実は物事の意思決定の質やスピードに重要な影響を持っている。
そしてその美意識への価値は今後更に高まっていく。

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)
世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 (光文社新書)

背景

著者は、世のエリートと呼ばれる層が美意識を鍛え始めている背景として以下のように説く。
ビジネス環境への認識は
1.論理的・理性的な情報処理スキルの限界が露呈しつつある
2.世界中の市場が「自己実現的消費」へと向かいつつある
3.システムの変化にルールの制定が追いつかない状況が発生している


具体的には、論理的思考を起点とする「正解」は誰もが導き出せるようになり、
コモディティ化したことが挙げられる。
差別化できなければ、企業も、個人も収益を生み出すことはできない。

また、世界はますます複雑に、不安定へと向かっており、
従来のサイエンス寄りの思考法だけでは解にたどり着けない。

ビジネスや政治の世界において、最前線の足元は不確定である。
このため、明文化されたルールや法律だけを拠り所にするのではなく、
内在的な真善美を判断するための美意識に照らして判断する態度が必要となってきた。

そもそも欧州のエリート養成校では、哲学に代表される美意識の育成が重んじられてきた。
論理的に考えてもはっきりシロクロがつかない問題の代表と言えば、これは典型的に内政と外交ということになりますが、これら二つを担うことを期待されるエリートの育成にあたっては、欧州のエリート養成校では、特に「哲学」に代表される「美意識の育成」が重んじられてきたという経緯があります。


ということで、美意識を鍛えよ、というのはポッと出のアイディアではなく、
欧州の国家運営でも十分に実験されてきた概念だ。
日本においても、
二宮尊徳は「道徳なき経済は罪悪であり経済なき道徳は寝言である」と説き、
日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一は「論語と算盤」と説いてきた。


運用

著者はミンツバーグの主張を引用している。
経営における意思決定のクオリティは「アート」「サイエンス」「クラフト」の
3要素のバランスと組み合わせによって大きく変化する。
トップに「アート」を据え、左右の両翼を「サイエンス」と「クラフト」で固めて、
パワーバランスを均衡させる。


ただし、アートとサイエンスが対立し、利害関係者へ説明を求められた際は
必ずアートが負け、サイエンスが勝つ。
代表的な例が、アップルでのスティーブ・ジョブズの追放劇や、
クックパットにおけるお家騒動である。
サイエンスが勝つと、利害関係者に対して短期的には恩恵を与えることになるが、
中長期的には痩せ細り、やがて枯れていく。
なぜならばサイエンスそのものには、利害関係者を高揚させる
力の源泉を生み出す力がないからである。
このため、アートをサイエンスとクラフトが支える形態をとる必要がある。

アートは経営トップが担うか、直轄領のような形で経営における
アートの担い手を指名することで実現させることになる。
国内ではユニクロ、無印良品、マツダが挙げられ、
またラグジュアリーブランドの経営では既に一般的な統治形態とされている。


効果

従来からのサイエンス、クラフト重視の経営だけでも大変なのに、
アートの要素を入れてしまっては負荷が増大して悪影響があるのでは、
という先入観は真っ向から否定される。

高度に複雑で抽象的な問題を扱う際、「解」は論理的に導くものではなくむしろ美意識に従って直感的に把握される。そしてそれは結果的に正しく、しかも効率的である。


さらに別の説明資料として、前頭葉を損傷して感情の起伏を
失ってしまった人間の調査結果があった。
感情を失ってしまうと、物事の取捨選択の速度が低下するのだそうだ。
ちょっと意外。
感情によって反射的に選択肢を絞り込む機能が働かなくなることが原因とされる。

そして、この美意識への価値が相対的に高まってきた時代に
大きな恩恵を受けるのは実は日本であると紹介している。

ストーリーと世界観を天然資源のように豊富に持っているのが日本である。
日本の美意識はフランスと並び世界最高水準にある。事実はどうであれ、
「日本は神秘的で美しい国」という認識を多くの外国人が抱いている。
マーケティングは認識が全てであり、正しいかどうかは問題ではない。
「美しい誤解」であれば、その誤解を徹底的に利用することを考えた方がいい。

言語化できることは、全てコピーできる。
コピーできるものは競争力の源泉にはならない。
一方で、ストーリーや世界観はコピーできない。


たしかに、周囲を海に囲まれたことも幸いして2600年以上生き永らえている日本には、
独自の宗教、価値観、生活感がある。
(最も優れているかどうかは知らないし、測定方法もないし、順位づけの必要もない)

また、なんでも馬鹿正直に訂正するのではなく、
都合よく誤解してくれているのであればそのまま活用すれば良い。
結果が後から付いてくれば、辻褄が合うのでそれで良い。

我々が今後どのように打って出るかに際して、特に気をつけなければいけないことがある。
「選択と捨象」
選択したら、あとは捨てる。

膨大なコンテンツを日本は抱えている。
日本人ですらその全てを網羅することができないのだから、
ツアーに訪れる人たちに向けて盛り沢山のコンテンツを提供しても混乱するだけだ。
渡航者はそれぞれ関心事が異なる。
同じ人物であっても次回は違うテーマを持って訪れるかもしれない。
このため、その用途に応じたプランを複数用意する必要がある。
各プランは主軸とするテーマに沿ったストーリーを構築できているか入念に検証したい。


その他

以下、印象に残った言葉。
新しいビジョンや戦略も与えないままに、真面目で実直な人たちに高い目標を課した結果行き着く先は、イカサマである。

「システムに良く適応する」ことと「より良い生を営む」ことはまったく異なる。

悪とは、システムを無批判に受け入れることである。

システムの内部にいて、これに最適化しながらも、
システムそのものへの懐疑は失わない。
そして、システムの有り様に対して発言力や影響力を発揮できるだけの
権力を獲得するためにしたたかに動き回りながら、
理想的な社会の実現に向けて、システムの改変を試みる。
これが現在のエリートに求められている戦略であり、
この戦略を実行するためには、「システムを懐疑的に批判するスキル」
としての哲学が欠かせない、ということです。

哲学から得られる学び
1.コンテンツからの学び
 →哲学者が主張した内容そのもの
2.プロセスからの学び
 →そのコンテンツを生み出すに至った気づきと思考の過程
3.モードからの学び
 →哲学者自身の世界や社会への向き合い方や姿勢
真に重要なのは、その哲学者が生きた自体において支配的だった考え方について、
その哲学者がどのように疑いの目を差し向け、考えたかというプロセスや態度である。


リーダーは自分が率いる人たちを「酔わせ、舞い上がらせる」ことが求められる。
そのためにはレトリックの力が必要である。
詩はメタファー(比喩)の引き出しを増やすことでレトリックを学ぶことができる。



蛇足

とても狭い話なのですが、自室に置く家具・家電は種類、サイズ、色、
形、質感、配置にやたらとこだわるタイプです。
一言で言うならば「それそのものが、単に配置されているだけで鑑賞に耐えられるか」です。
ただし、ランニングコスト(主に片付けと掃除)はできるだけ掛けずに過ごしたい、という
思いも同じくらい強いので、常に葛藤し続ける日々です。
都市も産業も、集積と分散を行き来して発展していく構図は、自室も同じみたいです。
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